グロテスク桐野夏生の作品。確か2003年、だったでしょうか。東電OL殺人事件をベースにした小説なのだが、 見事と言うか、まさにグロテスクに桐野ワールドになっていた。 騙り手「わたし」は、意地悪で細かい「お前はどうなんだ」という無責任さで、 妹ユリコと友人和恵の死に至る話をたどっていく。 後にユリコの本名が「平田百合子」であると記述されるので、 彼女も「平田某」であるのだが、最後まで出てこない。 「ファイアーボールブルース」の近田がもっと意地悪になった感じで、 彼女も劇中一度も名で呼ばれなかったのでそう思うのだろう。 対して、絶世の美少女と生まれながら、凋落の一途をたどり死に至る妹ユリコは、 桐野作品によく現れる人物設定かな。 短編に登場する「カール」という名のドイツ人ハーフの青年も、 もてはやされた10代を送りながら、容色の衰えと戦いながら生きている人だった。 ちなみに「カール」は姉妹のおじとして、名前だけ同じで登場する。 てなわけで、なんだか見知った感じの世界で始まるこの小説。 ちょっと理解できないところもあるが、 私が桐野作品をよく読むのは、清濁あわせもった中年女が登場するからだ。 美しいだけのお人形のようなヒロインでも、 どろどろの憎まれ役でもない。 きっと誰もが思い当たりながら、口にはできない一面を持った女たち。 そういう一面から決して目をそらさずに描かれているから、桐野作品が好きなのだ。 社会的にも、女としても認められようとする和恵。 凡人であることを理解しながら天才であろうとしたミツル。 傍観者であろうとしながら、常に影を追いつづけた「わたし」。 彼女らの心は、誰もが皆心に描く夢や希望やポリシーの、極端な形。 そして、それら全てを超越するユリコ。 登場した頃のユリコは、美しいけど性格ブスな女の子。 でも、彼女の手記、和恵の手記に現れるユリコは、 聖なる花の名に相応しくも神々しい女だった。 彼女が美しかったのは、姿容なのではない。 心が美しく、強かったのだ。 だからどんな男も愛する娼婦だったのだ。 彼女はそして、天に召される日を、自らの死の鍵を持つ男を待っていた。 和恵は逆に愛されたかった。 愛していたのではなかった。 女の身で、社会的な勝利を得ることに絶望し、 でも、そんな自分を捨てることができずに、 女としても認められようと望んだ。 だから、愛されるために娼婦になった。 とても、悲しかった。 私は和恵であり、「わたし」でもある。 和恵の手記には涙した。 百合子の血を引く百合雄がなぜ盲目なのかとか、 書き出したらとまらなくなりそうなので、やめよう。 桐野作品の不朽のヒロイン、村野ミロも、 ヒロインらしからぬドジをしたり、敵対する男に入れ込んだりする。 颯爽としていながら、勘違いな恋もしたり、 男性作家が間違ってもかかないような女性が登場する桐野作品が、 よくわからないけど好きなのだ。 彼女は昔、少女小説を書いていた。 その少女が中年になった作品を今も書いているのだ。 |